最終回です。またの名を解決編。
せっかくなのでこぼれ話を一つ。
リフレインをクリアした頃、Little Busters! Little Jumper Ver.がラブソングにしか聴こえなくなる病に罹った時期がありました。あながち間違ってもいないと思うのですが、クリアしたての熱っておそろしい!
今回のサブタイトルはそんな懐かしい想いからつけてみたのですが、
おそらくメロドラマにはしょっぱくて、それから、必要以上に爽やかだったらいいなと思ってます。
これは希望という名の未来のおはなしで、みんなが孤独でいるはなしが書きたかったのかもしれないし、
あるいはただの最後の祭りの一幕が撮りたかったのかもしれません。
とりあえずは、ひとまず。完結できて良かったです。
【09:終章、メロドラマ】
「どうもこうもないよ……」
はだかの蛍光灯が点灯した部室はすっかり様変わりしていた。
壁一面を覆う白の横断幕。固定するのは鉄パイプ。入り口側の壁面には奇妙なかたちの機械が鎮座していた。
絶句するしかなかった。二の句も継げずにいると、疑問の発露もないのに恭介がひとりでにまくし立てる。
「これか? 手頃なテントを一式借りてきて、天幕をスクリーンに見立てて利用させて貰った。それで、ついでにカーテンも近くの教室から拝借してきた」
「どんだけ各方面に迷惑振りまいてるんだよ?!」
ソフト部の部室で消えた集会用テント一式。一階の教室で消えていたカーテン。
片や上映会のスクリーンに、片や部室の日差しを遮る暗幕に、ものの見事に再利用されていた。ビニール素材のテントの白い天幕を部室の壁いっぱいに広げると、滑らかな表面がぴんと張って、簡易の銀幕へ早変わりしていた。確かに即興にしてはよく出来た映画館だ。セッティングがほぼ盗品である点さえ除けば。
恭介曰く、すぐに返却予定で面倒事にするつもりは一切無く、テントについては使用予定がないことも確認済みらしい。その証拠に、一階の教室の消えたカーテンに気づいたのは見回りに熱心な風紀委員くらいだろう、とのこと。昨日のソフト部部室での笹瀬川さん達の空騒ぎは計算違いということだ。
……笹瀬川さん、災難だったなぁ。
「よかったろ、8ミリ」
にかっと笑う。恭介は手回し式の映写機のハンドルを掴んで、リールをカラカラと回して弄んでいた。
またこうも、レトロな代物を……。
恭介が用意してきたのは8ミリフィルムの映写機だった。車のハンドルのような大小の円――リールが二つ設けられた精巧で懐かしい機器。撮影機材もあるぞ、と部室のダンボールから取っ手のついた玩具染みた銀メッキのハンディカメラを取り出して見せびらかしてくる。どちらも就活の道中に訪れた写真屋で縁あって彼の手に渡ったらしい。
……珍しい機材のご照覧にまったく心惹かれないといったら嘘だけどさ。
「映画が撮りたかっただけなら、リトルバスターズの皆に声をかければ良かったのに。……いつもみたいに、『映画名はリトルバスターズだ!』ってさ。恭介が言い出しっぺなら僕だって手伝ったよ」
「違う。仲間を楽しませるのはリトルバスターズのリーダーの役目だ。それはもう譲ったろ」
恭介はぴしゃりと否定する。
「だいたい、このフィルムで撮れるのは精々三分程度だしな。そして、俺が店主より譲り受けた由緒正しき8ミリは一本だけ」
「……つまり?」
「優勝おめでとう、直枝理樹君」
それはそれは仰々しいお祝いだった。こうして僕らの学校中を巻き込んだ鬼ごっこは、あまりに呆気無く、恐ろしく淡々と決着した。
……とは言うものの、納得しがたいのは言うまでもないだろう。
恭介ときたら、すっかり上機嫌で「つい昨日クランクアップしたばかりの、撮れたてホヤホヤだからな!」「昨晩夜鍋で編集したんだぜ」「夕食抜きはきつかったな……」の一点張り。揚々と宝物を見せびらかすような小学生男子顔負けの純粋さで舞い上がってしまっている。
そこで思い切って理由を尋ねてみたところ。たった、一言。
「見せたかったんだ」
そう告げられて、僕は何も言えなくなってしまった。
訊きたいことが山ほどあった。今だって得心いかずに眉根が寄ってしまう。ことの深刻さに対して、恭介は脳天気がすぎるほど太平楽だ。
……なんだかなぁ。
今までだって、突飛な思いつきに何度も驚かされてきて、その度に肝を冷やしてきた。それこそ十年来の付き合いだ。許すのにも許されるのにも慣れっこで、時々言葉が無力なことくらい、実感もほどほどに経験してきた。
僕らは互いの姿を知るには遠すぎて、心を覗くには近すぎる。心地の良い距離と力関係が歴然としすぎていて、絶妙な均衡を壊す暴力は必要ない。自由気ままな恭介、振り回される僕。そして積み上げた時間の重さで穏やかに麻痺していく。
伝えずにいた言葉の質量だけが増すのを覚えながら、沈黙を守る時は待たない。
だけど、やっぱり。このまま明日を、卒業式は迎えられないよ。
「恭介はさ。自分が悪役になって、僕らを正義の味方に仕立て上げて、それで満足なの?」
今回の騒ぎ。帰ってきた恭介が始めた鬼ごっこと、迎え撃って出た僕らとの決闘。そのどこまでが折り込み済みの展開だったかは知れない。恭介は徹底して僕らに真意を明かさず偽悪的に振る舞って、最後まで暗躍した。僕ら、リトルバスターズの対戦相手として。
一対六の決闘まではまだ良かっただろう。ギャラリーも大いに湧いて盛り上がった。けれども、体育館の封鎖、あれはやり過ぎだ。新生リトルバスターズ始まって以来の危機に僕らは結束を強めた。皆のために強くあろうと願った。
「案外、正義の味方も気楽じゃないだろ」
「それはそうかもしれないけど。嫌でも覚悟ができたけど……」
リトルバスターズのリーダーとして。そして、恭介がいなくなった後の日常への準備として。空席を埋めて僕らは各々配置に着く。一秒も、待ったなしに、続々と。
これじゃあ、罠にかかったようなものじゃないか。
「そんなの、全然、嬉しくないよ」
「……だろうな」
「みんなと作戦を練って、準備して、楽しかったよ。勝負にも燃えたよ。けど、けどさ、恭介。全部、これが最後だから?」
恭介らしい。どこまでも先回りで、手前勝手なお祭り騒ぎが大好きな、恭介らしい。
時は三月。卒業式を目前にして、僕らはあれこれ悩み、考えただろう。少なくとも僕はそうだった。余波を受けて、蓋をして忘れかけていた気持ちの不在に気づいてしまった。もうずいぶんと長い間、抽斗に仕舞っていたものだから、錆びついて崩れかけで凄惨な有り様だった。
「立派だったぜ。その調子で、来年もあいつらのこと、頼む。おっと……コレは何も俺が頼む筋合いじゃないな」
「恭介がいなくなっても?」
「ああ」
「東京に行くんだ?」
「言ったろ」
「置いていくんだ」
「そうだな」
駄々を捏ねたいわけじゃない。
繋いだ手を、離したいだけだった。
「……分かった。行きなよ。恭介は、行けばいいんだよ。東京でも、どこへでも」
未来が誰のものだったか、僕はもう知っている。
それは僕のものであり、恭介のものでもある。あるいは鈴のもので、それから、他の誰かのものだった。リトルバスターズの誰もが一人ずつ平等に手にしている、不確かで異質な可能性に僕は、氷った春に出会ったように身震いが止まらない。
じんじんと冷えていく指先を、重たいだけの胸の奥を、よく噛み締めておこうと思った。僕が恭介達と出会ってから十年間忘れ置いてきた、もの哀しさと寂しさが今頃になって音を立てて軋みだす。往年の負債だ、背負えるかも不安なんだ。
さよならへの序幕をくぐって、恭介は東京へ行くのだろう。その足を留めるものは何もない。本当はどこへだって走っていける君は、今度こそ歩調を緩めずに去っていくことだろう。
ここから、この場所から、この学校から。遠くへ。
「俺はこれからお前の知らない景色を見に行く。お前の、お前たちが見たこともない世界に歩いていく」
恭介は、映写機のまるいリールに掛けたフィルムを指で摘んだ。
赤黒く、日を受けた光沢がてらてらと反射して、長く伸びる。リールから引きぬかれたフィルムが巻尺のようにくるくると螺旋を描く。
僕は、スクリーンに映った見知らぬ景色を思い出していた。
同じものを見てきた僕らの目線が変わったように、僕らが目にする光景は異なるものへと広がっていく。差異は更に距離となって、僕らを遠く隔てていく。
フィルムの終盤に写り込んだ景色。空を埋め尽くす灰色のビル。橙に灯る赤と白の塔。テレビの向こうでしか見たことのない景色を、恭介はその目で見ている。
「――それで、お前はどうするんだ?」
同じものを見て、違う景色を知っている瞳が、ふっと眇められる。僕を見ていた。
僕らはいつか離ればなれになる。リトルバスターズはばらばらになる。その『いつか』が始まる明日を前にして。
「僕は」
どうしたい?
どうなりたい?
なにを望む?
――そんなの決まっている。
「僕は、恭介と違う、恭介が見てきたものよりももっとすごい景色を見に行くよ」
覚えているのは目に染みるほどの青空と、窓を突き破ってきた喉を刺すような澄んだ空気。あの日からずっと憧れたまま、ここまで来た。
追いかけるだけでは物足りない。競うくらいには速度を早めて、互いの呼吸も無視して、思い切り走ってみたかった。
そして君は挑戦的に笑って見せて、僕に言うのだ。
追い着けるものなら、追い抜いてみろ。
――無理を言ってくれる。
ただでさえ一周遅れのハンデがあるのに手酷い仕打ちだ。
僕はようやく助走を終えて、走りなれない靴を脱いで、スタート地点に一人で臨む。ここから先は日照りのグラウンドよりも辛い道だ。でも、行ってみたい場所は先ずはひとつ、思い浮かぶのだった。
窓辺に立った恭介が、部室の奥のスクリーンを取り払う。
暗がりの屋内に日差しが射しこむ。
真正面からの白光に僕らは眇めた瞼を懸命に開こうとする。どうかその先が見えないかと、背中に隠すように願いながら。
後日談、今回の後始末。
体育館の封鎖は二木さんと笹瀬川さん、そして二人を呼びに行った鈴の奮闘によって何事もなく収集がついた。生徒から不満の声がまったく無かった訳ではないけれども、封鎖中も体育館に残ったバスターズの皆がイベントを考えて、集まった皆と簡単なゲームに興じていたらしい。ステージの演出力の高さに、恭介と僕らが態と仲違いした振りをしてグルで企画したイベントではないかと、噂話で囁かれているそうだ。……そのあたりの真相は僕らだけが知っていればいいことだ。
総括として、結果は上々。僕らリトルバスターズとしては僥倖、恭介としても卒業を前に楽しむだけ楽しんで勝ち逃げ確定。
こうして、卒業式間際の学園を騒がしくした一連の祭りは、静かに幕を閉じたのだった。
そして、卒業式当日。朝。
祭りの後の静けさからか、それとも早朝の微睡みからか、疲れきった学園はまだ目を覚まさない。
僕は一人で三年生の教室を訪れていた。昨日の式の準備のうちに、三階の教室の黒板はカラフルなチョークでびっしりとメッセージが書き込まれていた。卒業生へ向けた餞の言葉の数々に圧倒されそうになる。どこのクラスもこの調子だから、在校生も少なからず浮足立っている。
人知れず足を運んだのは、もちろん、恭介がこの一年間在籍したクラスだ。休み時間には扉の付近で黄色い声で賑やかなここにも今は人っ子一人居ない。
見慣れない静けさでも、座席には確信があった。
窓際の席を見つけて、試しに椅子に腰掛けてみた。
流石に三階の教室は見晴らしがいい。中庭の木々緑の天辺が見える。校舎の向こうには商店街、そして駅。
……これが恭介が一年間見てきた景色か。なるほどね。
縦長の箱をつるつるに磨き上げられた机の上に乗せる。黒塗りのシックな包装が高級そうな雰囲気を醸し出していて、これだけ見るといつも漫画を広げている机には不釣り合いかもしれない。
中身は鈴と買い物に出かけた日に探しに行った祝いの品だった。バスターズの皆からは別に贈答品があるのだけれども、一つくらいは余分な荷物が増えたっていいだろう。
ブレザーの胸ポケットから、昨夜のうちに書いておいたメッセージカードを取り出す。
伝えたいことは簡潔で、一文の定型句でしかない。意外なことに心は清々しい。昨日のうちに余分な言葉は吐露してしまったせいかもしれない。
余分な言葉……うん、本当に。部室でのやりとりは思い返すと青臭くて少し恥ずかしい。今生の別れでもないんだから。
今日、三月のよく晴れたこの日。今までよりも一歩だけ、僕と君は一人になる。
きっと未来は眩しい希望だけではないだろう。時に無力に泣きたい日もあるし、背伸びして笑おうとする日もある。ここから先は一人で戦う日だって必ずやってくる。もう、手を握ってはいられないけれど、きっと声は届くはずだから。
――がんばれ。
誰にも聞こえない声で、僕はカードの文面を読み上げる。
『卒業おめでとう。』
長い一日が、そろそろ始まる。
fin.
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