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Mission × Mission 【08:開幕、ヒーローズ・カム】

晴野です。原稿に追われていますですなう。

さて、連載は8話目です。
いよいよ大詰め、ここまでくると残すところあと2話分になります。ちなみに全10話完結予定。
今回のBGMはTripl HのHEROSで突っ走りたい心持ち。
ピンドラの楽曲がどれも可愛くてかっこいいので一時期エンドレスリピートが止まらなかったのですが、
中でも作中で流れるタイミングがずるくてもう、大好きです。






【08:開幕、ヒーローズ・カム】




「ヒーローは遅れてくるのが王道らしいからな」

とん、と軽やかに片足で着地して、彼が舞台の上に降り立つ。
曲げた腕に右手は腰へ、のめり込み気味に俯く角度、無精な前髪が鋭い眼光を遮っている。衣装は漆黒のツイード・ジャケット。無彩色の布地のカンバスに滾る血脈のような赤いラインを描く、僕らの制服。入学初年度に仕立てたそれは三年目まで使い古すと、股下まで届いていたはずの丈も短く、成長期の長身が当初の見立てを華麗に裏切っていた。かといって、まるで不恰好ではない。より身体つきにフィットした着こなしが却って上体に乗った肉の逞しさを強調し、彫像美をぐっと際立たせる。
颯爽と登壇した彼へと好奇の眼差しが一斉に収束していく。
磨きあげられた体育館のフローリングを縫う、色とりどり競技ライン。制服姿の生徒たちが無数に交差する線を無遠慮に踏み潰していく。
百は超える数の学生が広大なスペースに密集していた。卒業式の準備に駆り出された不運な役員たち、そして、我先にと舞台直下に集う群衆の中には、野次馬も多く混じっていることだろう。
衆人に囲まれて、いっそうの注視を浴びる中――彼に単身、向かう影があった。
純真無垢を想起させる、白の少女。
澄んだ群青で縁どった白色のマント。プラチナがかったウェーブヘアー。頭蓋にちょこんと座る帽子の膨らみ。身に纏うすべては、ミニチュアサイズの身長を少しでも大きく見せようと試みた苦肉の策なのかもしれない。
彼女――クドは迷いもなく指を立てる。そして、目前の敵へ、懸命に啖呵をきる。
「恭介さんっ、負けたらおとなしく捕まってくれることを、約束してください!」
「いいぜ、約束しよう。……けどな、能美、お前にできるのか?」
鋭利な冷気が場を支配しようと、枝を伸ばす。
ビクリと跳ねた肩、床へと垂直に伸びる髪、それは少女が打ちひしがれる様にも見えた……が、すぐに間違いだと僕は知る。
「恭介さん、恭介さんは……とても強いひとです。一人でなんでもできてしまいます。それに比べて私は……一人じゃなんにもできません。でも、だからこそ、私にだってできることが、あるのですっ」
震える声音。それでいて、強固に唸る意志が感じられた。
彼女が振り絞った勇気を知って、胸の内で何度も賞賛を贈る。次は、僕の出番だ。
耳元に備えた小型通信機(提供、科学部様さまだ。)のスイッチをぐっと指で押さえる。
……さて、僕がこの言葉を口にするのは、もう何度目だろう。
始めのうちは追いかけ続けた憧憬の真似事だった。けれど、いつからかな。君に似て鼓舞するエールは僕自身の昂揚にすり替わって、今では背伸びがなくても唇に自然と馴染む。
――いくよ、みんな。
「ミッションスタートだ!」
叫ぶ。当時に、胸の早鐘がスタートダッシュをかける。連綿と転変を繰り出す状況は、もう止まらない。

さあ、始めよう。
これから幕が開けるのは僕らが送る一世一代のひどい茶番だ。幾度となく繰り替えられた日常に、最後の祭りが弾ける瞬間はいつだって、ここから始めないと彼は気が済まないというのなら、僕だってもう一度それに倣おう。
けれど、ここから先は僕の自由だ。あいにく誰かが書いた脚本は知ったことじゃないんだ。夢の詳細を正確に覚えている人はきっとどこにもいないだろう?

「ここに集まっているみんな、なんでもいい、武器になりそうなものを適当に投げ入れてほしいんだ。それは、くだらないものほどいい。その中から掴み取ったもの、それを武器に戦う……それが僕らのバトルルールだ!」
懐かしいような台詞が喉元からせり上がる、春先の舞台で初夏が弾ける。どくんと真っ赤な血潮を吐き出す心臓。熱気の篭もった体育館の室温が上昇した気がした。
眼下に集った生徒たちがどよめき、制服の内ポケットを探りだす。たちまち、軽い筆記具から投げ出される。ボールペン、鉛筆、三角定規、ノート、コンパス……、はじめのうちは常識的の範囲で、投射物が疎らに宙を舞う。
生徒手帳、潰れたクッキー、ペットボトル、箒、ガムテープ、原稿用紙、指人形、……こけし?!
次第にいったいどこから持ち出すのかと問い詰めてみたいような珍品まで登場し、熱狂は渦を展開して混沌を極めていく。
恭介が片肘に当たりそうなテーブルクロスをひらりと避ける。
鋭い眼光は獲物を狙う狩人のそれだった。無駄のない動作で立ち回り、計算高く値踏みする瞳。一瞬眇められたかと思うと、その手は長くうねる得物を掴み取った。
――非常用ロープ。イエローとブラックの危険色。
「こいつでいかせて貰うぜ!」
即断即決。一見無作為に見えて、浅慮にも熟考にも傾かない、好テンポの判断。
恭介が構える。対するクドは――手ぶらだった。
「どうした、能美。女子は落ちているものの中から作為的に選び取ってもいい、そういうルールじゃなかったか?」
「そう……、です」
おどおどと惑うクドを認めて、にやり、恭介が不敵に笑う。彼女の足元に散らばるのは決定打に欠ける日用品ばかり、勝利を確信した強者は声を上げて嗤う――その哄笑を、遮る怒声があった。
「でりゃあぁぁああああああああああ!!」
「うおりゃぁあああああああああああ!!」
左右の端から雄叫びが上がる。屈強で、野太く、決して折れない強度の声明。二つの声は競うように高く、高く天上を目指して伸長していく。
屋内を囲うように張り巡らされたキャットウォークの最西端――舞台側にそびえる逞しい骨格の肉体。左右合わせて、二つ。
雄々しい合図を受けて、五つの影が飛翔する。体育館のキャットウォーク、そこへ乗った真人が謙吾が身体全体を折り曲げて、反動をつけて、舞台へ向けて投げ入れる。武器を――大きくて、規格外の、僕らの武器を。
ステージの下から、阿鼻叫喚、ともつかない歓声が過ぎった。
左右の高台から降りた、二つ組、三つ組の武器。宙を駆ける、彼らが舞台に着地する――。

「……つまらないものですが」
すっと――青い影、ひとつ。
「うみゅ。まったく、つらないな」
リンと――赤い音、ひとつ。
「おねーさんとしては、少々面白い状況になりつつあるがな」
さらり――黒き髪、ひとつ。
「さーて、出番だ出番だぁー!」
ぴょん――桃の珠、ひとつ。
「えーっと、私も頑張るよーっ!」
キラリ――黄の星、ひとつ。

体勢を整え、それぞれ、おもむろに立ち上がっていく……、西園さん、鈴、来ヶ谷さん、葉留佳さん、小毬さん。
クドと恭介の間に立ち塞がる、彼女たち。
五人は白の少女を背後に守るようにして、一列に並ぶ。その姿はまるで玉座を守る騎士のよう。あるいは――ピンチに颯爽と現れる、ヒーローだった。
「投げ込まれたものであれば、女子は意図をもって選んでもいい。人を投げ込んじゃいけない……なんて、禁則事項はないよね、恭介!」
助っ人五人の到来に、唖然とする恭介に更に追い討ちをかけていく。これは、単なる屁理屈だ。恭介が提案したバトルを覆して、割り込む、常識外れの歪な犯行。
だってさ、規則を守るだけじゃ状況は変えられないだろ?
だから僕は、僕らは一方的に彼を裏切る。返事は待たない。現場の指揮は僕の役だ。
「いくよ! ……バトル・スタート!」
眩しいスポットライトも、湧き上がる歓声も五感にまで届かない。煌びやかに照らされて、観衆を熱狂させる舞台さえも無色の飾りだった。
この瞬間の時を刻む、鼓動がこんなにも熱く、うるさく加速していく。昂揚の理由はひとつだけ。
――向かい合った君と、僕を囲う、彼らの存在。
たったそれだけで僕の世界は鮮明な色彩で輝き始める。瞼を焼くほどのプリズムに、どうか瞳を閉じないで。瞬きも忘れた一秒が駆け抜けるのは、ほんの一瞬、目を反らした間なんだ。

「決闘と聞いて駆けつけてみれば……結局、乱闘かよっ!」
舞台の上手方向に身を引いた恭介を追随するように鈴が腕を伸ばす。振り上げられた拳が宙を斬る――と思いきや、ぐっと脇を締めた。スカートのひだが乱れる。すらりとした腿を外気にさらして、片足で踏み切る。
「馬鹿あにき、覚悟だっ!」
鈴の蹴りが炸裂した。恭介へ、一切の容赦なく放たれた一蹴。
「実の妹だからって手を抜くかと思ったか、よっ」
それを、僅かに身を反らして躱す、鈴の兄。狙いを外して体勢を崩す鈴に、セーラー服の黒襟がそよぐ背中に肘を叩き込む。
反撃を受けて、鈴は前のめりに転んだ。激しい摩擦音が轟く。受け身を忘れて打ち身に砕かれた身体は起き上がらない。押し殺したような呻き声だけが聞こえた。
対する恭介は余裕――に見えて、軽口を叩いている猶予もない。
研ぎ澄まされた集中。相手はなにも鈴一人には限らない。第二ラウンド、奇襲対象目がけてつま先が滑る。
その先には――ふえ? と、きょとんと惚けた虹彩の円。願い星を抱えた少女。
ステージの床上に顎をつけた鈴の表情が苦痛から悲痛へと変化する。
「こまりちゃん!!」
「小毬さんっ、右です!」
同時に鋭く響く、甲高い声。小毬さんの脚が右へと跳んだ。かなり危うい動作だったが襲いかかる凶刃からなんとか逃れる。掠める直前で急ブレーキをかけた恭介に隙は生まれない。
「ありがと~、クーちゃん」
小毬さんが笑顔で振り向いた、その時だった。
ヒュン、しなやかな流線型が空気を切った。交差を編み込む黒と黄のロープ。恭介が手にした武器。
「ああっ、次、左なのですー!」
「ふえぇえええ?! ど、どっちー?」
わたわたとパニックに陥り、慌てふためいた足下がもつれ込んでいく。「あっ」と小さく悲鳴が上がった。
踵を踏み外す。転倒――誰もが目を覆った。
刹那、音もなく現れ、後方へ倒れ込む小毬さんをキャッチする――来ヶ谷さん。
「……おっと。無事か、小毬君」
「あっ、ゆいちゃん……。う、うん……」
来ヶ谷さんは一瞬だけ眉根を寄せたが、すぐに開いて、恭介に対峙する。
「恭介氏。美少女を虐める変態行為は私の専門領域……もとい、断罪対象だ」
「おい、そっちの味方の危険因子は放っておいていいのか」
恭介の質問に、僕は素知らぬ顔で明後日の方向へ視線を投げる。来ヶ谷さんなら義理立てしてくれたから、大丈夫だ。……多分。
四人のナイトに守られたステージの上手では、西園さんがクドの横顔に頬を寄せて、小声で耳打ちしていた。
「能美さん、検証したデータによると恭介さんの弱点は………………です」
「わふっ、そ、そんなところ、なんですかっ?!」
「ぜひ、そちらへ重点的にご指示を」
西園さんの密告。もちろん、こんなことをされては地獄耳が黙ってはいない。
「はぁー?! 西園、俺の弱点ってなんだよ、そんなの俺自身も知らねぇぞ!? めちゃくちゃ気になるだろ……!」
「能美さん、作戦名『それとなく』、……です」
「は、はいっ! 分かりましたっ!」
恭介はチッと舌打ちするものの、鈴達四人に阻まれた奥間へは腕も足も届かない。
「よそ見するなぁー! はるちんデンジャラスハイパートロピカル☆キーック!」
背後から葉留佳さんが猛ダッシュで滑り込んでくる……が、
「ってあっさり避けられたー!?」
身をわずかに反らしただけの恭介を前に、無駄に華麗なフォームの蹴りは虚しく散った。瞬殺だった。勢い余って舞台袖の暗幕に激突していく葉留佳さん。ああ、見ていられない……。
「必殺技名叫ばないとやってられないのかよ、三枝。気持ちは分かるけどな」
ステージの端から「使えない人ですね……」と西園さんの不穏な呟きが聞こえた。……聞かなかったことにしよう。

恭介の行く手を阻むのは、三人。
無傷の来ヶ谷さん、肩を支えられた小毬さん、そして復帰した鈴。精神的なダメージが深刻そうな葉留佳さんはまだ時間がかかりそうだ。
舞台を構成する彼女たちから距離をとって、高台になったステージの片隅で僕は見守る。
審判ってどのくらい公平な役柄だったかな。バトルの時はいつも仲裁に入ってくる恭介の合図も実況も、必要以上に熱が入っていた覚えしかない。たまに、明らかに片方に肩入れして贔屓していたくらいだ。発起人の張本人が誰より楽しんでいた。
それは――この絶望的な状況下でも変わらなかった。
実質、六対一。歴然の数差。圧倒的不利。
断崖絶壁に追い詰められた恭介のその表情は……屈辱に軋むこともなければ、失意に折れることもない。
それどころか――嗤っていた。声を上げて、高らかに、前屈みで抱腹して、喜色満面に凱歌を叫ぶ。
絶望的敗退を前にして、ただただ無邪気に、笑っていた。目尻には涙さえ浮かんできそうだ。
クツクツと息を漏らした始めは、大丈夫だろうかと疑った。けれど、これは違う。今の僕には解かる。――同じ気持ちだ。
「俺たちの武器は絆だってか? ったく、お前らときたら、青臭くて泥臭くて……燃える展開じゃねぇか」
上気した頬。荒れた息遣い。顎をつたう汗の滴。
漫然と僕らの肩を上下する、焦りと興奮。――何年ぶりかな。こんな表情は背中越しじゃ見えなかった。
「僕ら、青春真っただ中の青少年達だからさ。無駄に熱く汗を流すのだけが取り柄なんだよ」
「なるほどな。愛すべき青春馬鹿どもに、人生の先輩として一つアドバイスをやろう」
明後日を示す、伸びやかな指がすっと僕へ向けられる。
「――あいにくと、大人は卑怯だ。規則も倫理も平気で蹴破る。……俺の提唱したバトルに敵前逃亡を禁止する、なんてルールはないぜ」
低音で呟かれた脅し文句、その宣告が端をきった。
ひやり、恭介の言葉に呼ばれた冷気が熱狂を射殺す。瞬時に空気が一変した。
思わず瞬きをした次の瞬間に、僕ら二人の距離は急変していた。
恭介が猛ダッシュで突撃してくる。方向は直進。つまり、僕へ向けて。避けられない――悟った時には既に遅かった。
「悪いな、理樹!」
肩肘に重い鉄筋が激突した――ように感じた。
意識が消し飛ぶ、脳裏を覆う白の天幕がひらく――まずい。
歯を食いしばる。見えたのは体育館の高い天井に張り巡らされた無数のパイプだった。
意識を撃ち抜かれた頭が重い、スローモーションの速度で空転する、泳ぐように宙を掻く――足が着かない。
足の裏が、傾斜を滑る。
一面の視界に、無数の知らない顔が広がった。
「理樹ぃー!!」
絶叫、いくつも。
表情。唖然、恐怖、畏怖。
金切り声、鋭く。
阿鼻叫喚。
固い板張りが顔面めがけて迫ってくる……。
――突き落とされた!
目を閉じる。反射的に。たちまち激しい衝撃が背を殴打した。
黒に塗りつぶされた瞼の裏で、ちかちかと光の名残が点滅してうるさい。
――恭介に、突き落とされた。
ぶつかった肩から感じた骨格の存在は、間違いない。
黒色の意識を叩くように、背に、肩に、脛に、腕に、頭に、激痛が走る。痛い。痛い。痛い!
喉元までせり上がった呼吸を飲み込む。肺が縄で締め付けられたように苦しくて、息がままならない。
ひゅうと情けない呻きが咽喉を伝った。
そこで初めて高くなった舞台から板張りの床上に落ちたのだと、悟った。
おそるおそる目を開くと、徐々に五感が常態を取り戻そうとする。僕が横たわっていたこの床は、体育館のそれ。競技ラインの緑と白が交差する、ステージ目前の一角。
そして、視界を埋めるダークグレイと紺色の幾本もの幹は……ここに集まった生徒たちの脚だ。僕は彼らの足下に転がっているらしい。
慣れてきた苦痛を堪えて腕を立てる、ぐっと手のひらで床を押す、力を込めたところで――踏み潰された。上空から強襲したのは、体育館シューズ。初年度に学校支給のそれ。痛みに破裂した叫びはとうとう声にならなかった。
体勢が崩れる。
次々に身体のパーツに激突して降ってくる、つま先の強打。軽く、あるいは重たく、衝突を残して誰も彼もが通り過ぎていく。
立ち上がれない――。頭を守るように抱えて蹲ることしかできなかった。
あたりを取り巻く意味をなさないざわめきが、鼓膜に穴を空けようと乱れ撃ちで降りそそぐ。
雑踏に押しつぶされそうな四肢をつたって、鬼気と迫るのは恐怖だった。
目に見えない怪物が内側からいびつに膨らんでいく。
意識と身体が同じに石になったようだ。身動きが取れないの恐怖に身をすくめたためか、痛みに心がくじけたためか、分からなかった。
――まずい、このままじゃ、まずい。今にも張り裂けそうなのに、焦燥が背を押すのに、瞼が重い。視界に黒い染みをつくって滲んでいく。それは、あんなにも畏れた、眠りの蓋が落ちる静けさと似ていた。
――ナルコレプシー。口にすることの減った、あの病名が、まどろんでいく意識をかき混ぜる。
再発? そんなわけない、嘘だ。……うそに決まってる!
だいたい、ここは夢の中じゃないんだ。痺れる手の甲も、皮膚の奥でうずく骨も、青くにじんだ痣も全部、僕の痛みじゃないか。
奥歯をぐっと噛み締める。
噛みちぎるほどの勢いで、唇を噛んだ。鈍い鉄が鼻をかすめる。じわりと、口内で鉄の味が広がった。痛みは思うほど鋭くはない、それでも目覚めには十分な抗いだった。
細く、長い筋になっていくわずかな視界に、映る世界を見出そうと、眠りを必死で振り払う。覚醒をうながして研ぎ澄まされていく意識は、まるで、手を伸ばすようで――。

「理樹!」
一閃、光が瞬いた。
光はたちまち収束して輪郭を形作った。尖った印象を縁どっていく、見知った像を結ぶ赤い旋光に心がほころぶ想いを抱く。
女の子だ。名前だって分かる。――鈴!

目前に手のひらが伸びていた。
腕を引っ張り上げられる。踵が地面を踏みしめる。すくんだ脚は自然と伸びて、引力に任せて立ち上がる。
瞼を開くと、雑踏の真ん中で、鈴と目が遇っていた。
狭い体育館を勇み足で行きかう人々に囲われて、已然と逃げ場がないようなのに、彼女は笑っている。
我先にと急ぐ制服姿がいくつも二人を横切っていく。
ふいに、背中を叩かれた。軽く打つような感覚で、前へ前へと僕を押す。
それが河原で握ったあの小さな手だと気づいた時には、鈴は僕の脇へとすり抜けて行ってしまった。視界の裏側を確認する余裕はない。

「直枝さんっ!」
上空からの声。西園さんが声を張り上げて、叫ぶ。舞台の上座から覗く、小顔。
物静かな彼女のものとは思えない声量に、一斉に天を仰ぐ群衆は注意の行き先を奪われたようだった。

「――理樹君……ッ!」
人の波でできた壁が、声とともに二つに裂ける。足を止めた。雑踏を掻き分けて出てきたのは、来ヶ谷さんだった。
駆けよってきた彼女は、息もつかぬままに僕を人波に押し込む。僕らは立ち位置を入れ替わるようにすれ違った。
僕の行く先には来ヶ谷さんが駆けてきた道が、崩れる直前で形を保っていた。
振り返らずに一気に走る。

「理樹君、理樹くん、りきくん……!」
呼ぶ声がした。必死に、何度も、願うように繰り返された僕の名前が耳に届く。小毬さんだ。

「理樹君ってばあ!!」
今にも泣き出しそうな声。いつも溌剌としているのに、こんな時は誰より不安げだった。葉留佳さん、いま、行くからね。

「リキぃーっ!!」
クドの発する、すっかり耳慣れた発音に、力を込めた方向に確信を持つ。
彼女の、彼女たちの声がこっちへおいでと手を叩く。声が聞こえてくる先を目指して、走る。
時に向かってくる誰かの肩にぶつかって、足を取られて転げそうになる。飛んでくる野次に、心が怯んで謝罪を投げる。だけど、足を止めない。
人と人との隙間を縫って、僕は進む。この先に待っているみんなが居る。速度を増すごとに自信が実をつけて、やがて太い幹の枝木に成っていく。

人混みの垣根を抜けると、ひらけた真空地帯に出た。バスケットゴールのふもとにあたるその一角では焦る人影もほとんどない。背中をあおぐと、少し離れた場所――特に出入り口のあたりを目がけて群がる人々が幾重にも連なって、厚い壁を築いていた。
「おいっ、理樹!!」
壁の奥に、突き抜けた山が一つ。ひょっこりと顔を出すのは、真人だった。
「理樹、無事か?!」
続いてのっぽの雪山がくるりと振り向く。謙吾だ。
僕は二人へ向かって手を振った。すぐに二人が駆けつけて来て、背中を守るように並んでブロックを築く。
背の高い彼らが目印になってくれたのだろう、すぐにみんなが集まって来た。人混みに飲まれてしまったかと心配だった、鈴と来ヶ谷さんも機敏な動きで抜け出てきたようだった。
ひとまず、僕らは互いの無事と帰還を肩や腕をたたいて喜んだ。小毬さんは全員に怪我がないかと聞いて回って、葉留佳さんはちょっと鼻声になっていて、来ヶ谷さんは心なしか目が赤かったように見えて、西園さんは静かに胸を撫で下ろしていた。鈴は珍しく抵抗せず、黙って真人の快勝祝いと謙吾の無茶を咎める説教を聞いていた。
僕はやたらとみんなに心配されて、切れた唇が動揺を招いてしまった。あちこち切ったり擦り剥いたりして傷ができているはずなのに、こうして話していると痛みが引いていく気さえしてくる。僕らはしばしの間、安堵を分かち合った。
けれども、温かな応酬の時間は長くは持たなかった。

「出られないってどういうことだよ!?!」

突然、少年の怒声が天上へ響いた。知らない声だ。
鋭い慟哭にあたり一面がしん、と静まりかえる。
しかし、降りた沈黙を長く留めておくことはできなかった。フェードインするように、動乱の騒めきがいっそう勢力を振るって波紋を広げていく。
それが異様な光景だと、僕はここで始めて気づいた。
今にも破裂しそうな不安の渦、そして、縋るように次々と扉に群がる生徒達。重い鉄扉を必死に叩く者さえいる。さめざめと泣きだす女生徒、それを宥めるように隣に立つ者。体育館の敷地を埋める、誰もが悲壮と動揺を隠そうともしていない。
そして、渦中にあって叫ぶ声はたちまち雑音に消されていく。
「なにが起きてるんだ……?」
率直に、疑問だった。
置いてきぼりの僕への説明を西園さん、そして葉留佳さんが請け負った。
「……落ち着いて聞いて下さい。先ほど、直枝さんが突き飛ばされた直後のことです。扉に手をかけて、外に出ようとしていた一人の生徒が絶叫しました。すぐに確認したところ……体育館の扉の鍵が外部から閉ざされていたようです。正規の出入り口は合計三つ、そのうち全て封鎖されています。先ほど確認した裏口も――本来は内側から空くはずなのですが……駄目でした」
「つまり、今現在この体育館はカンペキに閉鎖中なのですヨ」
「あの、リキ、恭介さんは……あちらから出ていきました……」
クドが指さすのは、頭上のキャットウォークに寄り添った体育館の大きな窓ガラスだった。
時に体育館に薄暗い闇を顕現する、折り畳んだ遮光カーテンが風でたなびいている。窓の一つが開いていた。
そして、開帳した窓のすぐ傍に、導線がこれ見よがしに垂れ下がっていた。ロープ――恭介が手にした武器。恐らく、それでキャットウォークまで上ったのだ。使い方まであらかじめ折り込み済みだったのかもしれない。
「……これって、もしかして」
――恭介の仕業なのか?
僕の懸念を先回りしてぴしゃりと静止する声があった。
「理樹、今はそんなことどーでもいい」
「鈴の言う通りだな。不味いぞ、この状況」
……そうだ。今は、原因の究明よりも先にすべきことがある。
鈴と謙吾の言葉におされて、もう一度状況認識を改める。
一つ、僕らリトルバスターズと集まった生徒たち百余名は体育館に閉じ込められている。
二つ、正規の脱出経路はどこも封じられている。
三つ、生徒たちのパニックはすでに極まっている。その矛先は当然、僕らに向きかねない。
――結論。この状況を打破する打開策が、性急に必要だ。
思案顔の鈴の隣で、携帯を持った小毬さんが戸惑いの表情を浮かべていた。
「理樹君、さーちゃん今、部長会みたい……。携帯、マナーモード、だね……」
「佳奈多君なら委員長会議に出席中だ。昼休みだからな、各責任者は職務を全う中……といったところだろう。だからこそこうして私達が幅を利かすことも可能なのだがな」
来ヶ谷さんがもう一つの閉じた可能性を示唆する。
つまり、外部に助けは期待できない、ということか。
「理樹。手ならいくらでも貸すぜ。――筋肉もな」
頼もしい一言だった。先陣をきって名乗り出た真人の言葉に、誰もが顔を上げた。
ふっと無数の瞳に士気が宿る。――そうこなくちゃね。
傷だらけでひどい顔をしているのは僕だけじゃない。けれども、俯く者はな一人もいなかった。
野球チーム・リトルバスターズは実のところ、正義の味方なのだった。

「……そうだね。真人。みんな。――行こう、これはミッションだよ」


(つづく)
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