佐々美さま、そしてようやくクドのターン。
今回はタイトルが示す通り骨休めの小休止的な内容です。(サブタイがネタに走り始めたのがバレる)
肩の力を抜いてごゆるりとどうぞ。
今回で登場人物が出揃いました。
そして、すみません。実はオールキャラ小説じゃなくて、オールキャラ気味小説でした!
沙耶さん並びにあーちゃん先輩、杉並さん佐々美様の取り巻きーずのファンの方々はごめんなさいでした…。
【06:間奏、猫と仔犬と丸い缶】
キーンコーンカーンコーン……。終礼のチャイムが明朗と鳴り響く。
ウェストミンスターの鐘、だっけ。これでも立派なクラシックなのだと以前来ヶ谷さんが教えてくれた。校内放送でお決まりの大鈴を思わせる音色に、退屈そうに教室に縮こまった生徒達が次々と畳んだ翼を広げていく。ある者は欠伸とともに大きくのびをして、またある者は号令と同時に勢いよく教室から飛び出して。
解放的な鐘の音なのに、訪れた昼餉の到来にうきうきと躍るはずの心は隠遁中だ。そのまま行方不明になって、還ってこないのかもしれない。お腹が空いたら自動的に食事以外のことを忘れてしまう真人みたいに生きれたらいいのに。
臓物に沈む胆石のように重たく、じりじり内側を焼く苦いやるせなさにに胸やけを起こしそうだった。枷を引きずるような鈍くとぼとぼとした足取りで、教室を出る。今日は購買のパンには有りつけそうにない。
原因は朝からつづく一連の騒動にある。
どうやら今回の事件を、一般の生徒の多くは僕らが企画したイベントのように捉えているようだった。
学年末の定期テストを終えて在校生のほとんどが暇を持て余していたところに、話題をさらっていったこのニュースを歓迎する生徒は多かった。それはまだいい。僕らとしても身動きが取りやすいに越したことはない。
問題となっているのは、主に食堂での恭介の発言だった。人から人へ伝播し、拡散され曲解され流言飛語としてたちまち学内にばら撒かれたそれは、尾ひれがついた下手物となって僕の耳にまで届いた。
曰く、「棗が直枝に挑戦状を叩きつけた」とか「バスターズ内部分裂の危機」だとか。
ましてや僕と恭介、どちらがこの勝負に勝つか裏で密かに賭けをしている人もいるという噂まで流れてきたのだった。
期待と好奇の眼差し。不慣れな僕は、それを快くは受け取れなかった。
なにかと話題の中心となりがちな恭介は慣れているのだろう。きっと今日だって三年の教室で少年向けの漫画雑誌のページを無邪気にめくっている。確認しに行かなくたって分かる。
通り過ぎざまに、名前も知らない男子生徒に「がんばれよ!」と肩を叩かれ、曖昧な微笑を返事にかえるのも朝から何度あっただろう。
昼休み中なんて絶好の機会になりかねないと危惧を覚えて、そそくさと人目につかないように廊下の隅を歩き始める。
「見つけましたわっ!」
「うわああ! ごめんなさいっ!」
隠密行動を心がけたところで早速見つかるだなんて、そんなお約束な!
反射的に飛び上がって謝罪してしまう。
「いきなり謝るなんて、あなた、下役根性全開ですわね……。指名手配犯でもないのですから」
レースに縁どられた特徴的なリボンが揺らめく。呆れた様子で立っていたのは、笹瀬川さんだった。
普段と変わらない様子で話しかけてくるものだから、逆に身構えてしまう。
……指名手配、か。
「もしかして、笹瀬川さん聞いてない?」
「朝から出回っているビラのことですの? ずいぶんな噂が飛び交ってますけど……。わたくしは下世話なはなしには関心はなくてよ」
ほっと胸を撫で下ろす。笹瀬川さんの高飛車気味でありながら毅然とした態度が、今は救いだった。
「そっか……、ありがとう。こういう状況慣れてなくてさ、居心地悪くなってたのかも」
照れ笑いがちにはにかむと、はぁ、と短いため息が返った。
「何をおっしゃるかと思えば、呆れたものですわね……。あれだけ世間を騒がしくしておいて今更、悪目立ちを内省しているんですの?」
「言われてみればその通りだけど、それでもこういう時、僕らの中心に居たのはずっと恭介だったから」
言ってみてから、そうか、と思案がひとつ閃く。今まで恭介は僕らと外との窓口を買って出てくれていたんだ。
リーダーの役割、ってなんなのだろう。一つだけ言えることは、恭介から託されたその役柄はただの肩書きではない、ということ。
受け取ったはずのバトンが手の平の内で急変して、ずしりと重量を益していく。
もしかすると、僕では役不足なのかもしれない。
「わたくし、リトルバスターズのリーダーは、直枝さん……あなただと思っていましてよ」
降りて来た声にふっと見上げると、笹瀬川さんが僕を見つめていた。じっと、正面から直視して逸らさない青金石の眼睛。射すような冷たさはなく、諭すような温かさで僕を迎える、釣り目がちの目尻。
「少しこちらへ来て下さりませんこと?」
手を引っ張って、窓辺へと連れられた。廊下の窓からは階下の裏庭の様子がうかがえる。木々が生い茂る裏庭は、校舎の長い影が落ちて鬱葱とした様相を醸しだしている。
「裏庭の左隅のあたり、ですわ」
律儀に整えられた形良い爪が、窓枠の向こうを指し示す。
影のかかった一角で二人が立ち話をしていた。一人は知らない女子生徒、リボンの色は青。上級生だ。もう一人は、僕らの目線からは後姿しか確認できない。けれど、瀟洒な身のこなしに流れる黒髪に見覚えがあった。
「あれ……もしかして、来ヶ谷さん?」
孤高の揺り椅子に鎮座する彼女が、バスターズの仲間以外と親し気にしているシーンをのぞき見してしまったのだとしら、少々信じがたい光景だった。
二人の距離は友達同士と呼ぶには遠く、せいぜい知り合い未満、程度のよそよそしさがあった。
会話の内容は聞こえない。あっけらかんとした上級生の表情から推察するとどうやら、からかわれているようにも見える。
あの、来ヶ谷さんが? ……これもまた、一連の事件の余波かな。
後ろ髪を引かれつつも、二階からでは手の出しようがない。
僕の心配をよそに、あるいはまるで吹き飛ばすように、来ヶ谷さんは豪胆に笑って、それから、何やら手をわきわきし始めた。……あ、相手の人、引いてる。
そして、上級生はそのままぎこちなく手を振って立ち去っていく。
「あれはちょっと……真似できないかな」
彼女が本当に冷やかしを受けていたかは判然としない。
まったく予想していなかった訳じゃない、今のリトルバスターズはなにかと、目立つ集まりだから。
この世界には悪意が存在することも知っている。陰口や冷笑、心無い言葉のトゲ。陽の光の当たる場所の裏側に潜むそれらが、牙をむく瞬間は、きっと訪れる。
「来ヶ谷さんだけではありませんわよ。神北さん、普段大人しい西園さんもああいった経験がある、と言っていましたわ。このわたくしも……、いえ、これは出過ぎたはなしですわね。そういうものを背負って、それでも共に有りたいと思うのが、仲間というものではありませんの?」
熱意と実感のこもった演述だった。
それは僕の耳に届くとじわりと沁みて、瞼の裏から浸透していく。
「かくあれ、などとは言いませんわ。あなたはあなたらしいリーダーを目指せばよろしいのです」
そんなことを、さらりと言ってしまう。
笹瀬川さんの言葉は適確に的を射ていて、なにより、厳しさを孕んで背中を押す心地よい肯定だった。厚情と非難のどちらにも天秤を傾けない。彼女は公正な人、なのだ。
そうか。鈴と言争う姿ばかり見ていて、目に付かなかった。これが、迷いのない強靭さが、彼女の冠たる所以なのか。ソフトボール部のエースにして、ホープ。彼女の肩書きは見かけ倒しじゃない。
……すごいな、見習いたい、とすら思う。
「必要でしたら、ソフトボール部のキャプテンとして、リーダーとはなんたるかについてレクチャーして差し上げますわよ?」
「はは……お願いしたほうがいいのかもね。……ところで、笹瀬川さん」
「なんですの?」
「さっき、僕のこと探してたみたいだったけど、話でもあった?」
カチンと固まる、笹瀬川佐々美さん。
なにかまずいことを指摘してしまったのだろうか。僕の不安を遮るように、彼女は派手にのけぞるような挙動で頭を抱えて蹲った。
「……忘れていましたわぁー!」
絶叫、そして、すぐさま血相を変えて跳びかかってくる。
「棗鈴っ! 棗鈴はどこですの?! ソフト部の部室に備品として安置されていたはずの、集会用テントがありませんの!」
集会用テント。耳慣れない言葉に首を傾げていると笹瀬川さんが説明してくれた。
学校行事などでグラウンドを使用する際に、日よけのため設置されるイベント用のテントのことだ。鉄パイプを組んだテントフレームに白い天幕をかけて屋形を作るそれが、体育祭で来賓客用に用意されていたのも記憶に鮮明だった。
その優秀な成績と規模から広い部室を与えられているソフト部は、集会用テントの予備も備品の一部として管理を一任されているらしい。
笹瀬川さんの言をまとめるとこうなる。
つい昨日、年度末の大掃除と並行して行った備品チェックの際に部室に置かれていたワンセットがなくなっている、との報告があったという。頻繁に使うものでもないが、管理不届きであれば一大事だ。そして、一昨日たまたま部室で失くしたタオルを捜索していた下級生部員の証言によって事態はさらに混迷を極める。彼女が言うには、一昨日見たときには確かにテントはそこに在ったという。
つまり、昨日のうちに部室から集会用テント、一セットが忽然と消えてなくなってしまったのだ。
「えっと、それでどうして鈴の名前が出てくるの?」
「決まっていますわ! 棗鈴が飼っている猫がソフト部の部室に出入りしていた目撃情報は既にあがっていましてよ。このわたくしが証言者ですもの」
それは……少しばかりこじつけの気があるんじゃないだろうか。
ここに取り巻きの女の子たちがいれば迷推理に挙って拍手してくれるところなんだろうなあ……。
まさか猫が持ち出すわけないし、集会用テントの大きさから、鈴一人で持ち出せたものかも怪しい。なにより、そんなことをしても誰も得をしないと思う。
せめて目前の彼女のご立腹だけでも、どうにかできないものかと知恵を絞る。
鈴を追及して詰め寄ってくる笹瀬川さんと、それを宥めようとする僕。お互いの目と鼻の先に相手がいる。一発触発状況の僕ら二人へ向けて、たどたどしく近づいてくる足音があった。
「わふー! 笹瀬川さん、発見しましたーっ! ……と、そちらにご一緒しているのはリキなのですー!?」
白色のマントの裾を翻して、ひらりと階段から降りてきた小柄な体躯。幼さの残る目鼻立ち。
僕らを発見したクドの顔にぱっと赤い弁が散った。
「お二人はなにか……ご内密なおはなしですか? ええっと、でしたら、わたしいまは席をはずして」
「気にしなくても大丈夫だよ、クド」
大慌てのままぷにっとした質感のミニマムサイズの手で両目を覆おうとするクド。
笹瀬川さんは、スイッチの入っていた熱がちょうどぷつりと冷めたのだろう。パーソナルスペースにぐいぐい切り込んできた上履きが、急に委縮して距離を取り始める。
……思い返すと、ちょっと近かったな。
「能美さん、わたくしになにか用でもありまして?」
ばさっと長い髪を掻き上げて、来訪者へと向かう。了承を得たのが嬉しいのか、中庭に舞ったフリスビーをキャッチする時のようにクドは元気よく返事をした。
「はいっ、笹瀬川さん、せんじつ、ソフト部の部室にお持ちしたモンペチのことなのですが」
「あら? あれがどうかしましたの?」
部室? モンペチ? 妙に聞き覚えのある単語が飛び交う。
もしかして、ソフト部の部室に猫がいたのって……。
「笹瀬川さん。ひょっとして部室で猫に餌、あげてたりする?」
「なっ、ななな、なぜわたくしが棗鈴の飼い猫などに?!」
いや、声、裏返ってるし。完全に墓穴を掘っていた。
「はじめは迷いこんじゃっただけだと思うよ。あとで僕から鈴にしつけを徹底するよう言っておくから。それと猫の侵入を阻みたいなら、多分、部室にモンペチの備蓄はしないほうが……」
「別に入ってくるななどとは言っていませんわっ!?」
なんだかんだ言って可愛がってるのだろう。笹瀬川さん、猫好きだもんなあ。
「直枝さんの方から棗鈴に言づてしてくださるなら問題ありませんっ。わたくしはそろそろ失礼しますわっ!」
早口言葉のスピートでまくし立てた彼女は、身を翻し徒競走のスタンディングをとった。
ソフト部エースの栄冠は伊達じゃない、長い廊下の端から端へ稲光のごとく瞬時にびゅんと駆け抜ける。その速度、音に聞くには百メートルが十二秒フラット。まさに嵐のような人だった。
「行ってしまいました……」
「行っちゃったね……」
結局、テントのことはよかったのだろうか。
クドの話も途中で頓挫してしまった。案の定、とり残された彼女は隣で小さな背を更に小さく丸めて沈んでいた。
「どうしましょう、言いそびれてしまったのです……」
「急ぎの用だったの?」
「いえ。じつは、ご連絡じこうだったのです。鈴さんから。『おまえのとこにあるモンペチ、あたしにくれ』と」
「それは伝えなくて正解だったかもしれないね……」
伝えていたらきっと、鈴の姿を探して窓からでも飛び出していただろう。
ストレルカとヴェルカもお気に入りのモンペチを、クドも鈴と一緒に買いに行ったことがあるみたいだ。そこから笹瀬川さんの所にも渡っていったのだろう。鈴と笹瀬川さんは遠回りしながら着実な繋がりを維持しているようで、これはこれで、二人の間にある確かなラインなのかもしれない。
「もうすぐ、昼休みも終わってしまうのですね。授業、はじまってしまいます」
名残惜しそうに校庭を見遣るクド。時計の文字盤は午後の始業時刻の五分前をさしていた。
タイミングを計ったかのように、予鈴が鳴った。本日幾度目かのウェストミンスターの鐘。校舎へ教室へ舞い戻る多数の生徒達。涼やかな幻聴が急かすように僕へ囁く。
『いつまで二の足を踏んでるんだ?』
春先のそよ風が、首筋を弄った。
「うん……、そろそろ始めようか」
「わふ? なにをはじめるんですか?」
「……ミッションだよ」
「…………リキ?」
不安気に揺れる、海色の虹彩に浮いた光の粒。
低い位置にある彼女の肩に手を置いて、瞳の奥を覗き込む。
「クド、君にしか頼めないことがあるんだ」
手を伸べた春風をぎゅっと握りしめる。そう簡単には、離したりはしない。代わりに、そう、挑戦状の返事を送ろう。書き出しはこうだ。
『さあ、準備はできているかい?』
――ミッション、スタートだ。
(つづく)
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